ピアノにおける巧緻動作習得とクロスモーダル現象。

前回、「臨界期」と「シナプス数」について書いた。ものにもよるが、特殊技能を習得するためには、シナプス数が多い幼少期に携わっていた方が良く、そしてそれは必要があって日々使っていないとその能力は失われてしまう。そのため、特に必要もなく日常生活をある程度の年数過ごしてきた場合、ものによって金輪際、絶対に開拓できない技能領域がある。例えば「絶対音感」。今の今まで特殊な訓練も受けてこなく、そして特に必要もなく日々を過ごしてきた人間が、ある程度の年齢になってから頑張って身に付けられるようなものではないという事は想像に容易いだろう。…まぁ実際に実験して検証したわけではないので断定はできないが、アラフォーである僕個人としては今から絶対音感を身に付ける事は不可能だと思っている。

では、指の動きはどうか?早いパッセージや綺麗なトリル、美しいアルペジオ、正確なオクターブの跳躍とオクターブの連打など。これらの習得は今からでも間に合うのかどうか?10年位練習していればできるようになるのか?ということを個人的に考察していこうと思う。

まず1つ目として、身体を動かす仕組みを簡単に説明する。

皮質連合野(運動の意志決定)

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運動前野、補足運動野、大脳基底核、小脳

(どの筋肉をどれくらいの強さでどの順番で働かせるかのプログラム作成)

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一次運動野(最終的な運動指令を発令)

  ↓

脊髄、脳幹のニューロン

  ↓

随意運動実行

※上記に加え、運動の際には体性感覚によるフィードバック調節や、平衡感覚の情報を受けながら運動を調節する小脳を介する神経回路が働いて外界の変化に対応した運動が行われる。

これを何度も何度も繰り返すことで無駄がそぎ落とされ、動きが洗練されていく。同じ動きを何度もしているうちに、脳の中でその動きに関するパッケージというかシークエンスが形成される。後は使いたい時に、随意的にそのシークエンスを引っ張ってきて末梢へと出力するだけだ。

次に、中枢からの命令を受け止め実行に移す末梢神経や筋肉について書いていく。

筋肉、そしてそれを構成する筋繊維は、使えば使うほど「仕事肥大」といって大きくなる。これは筋トレにより筋肉量が増す原理と同じだ。指圧師の母子球筋や、ピアニストの手指を背側にそらす筋は、一般人のそれと比べて特別に発達している。特殊技能を行使する際、その動きに関連した筋肉量は多い方がスタミナや安定感、強弱調節等の面からもパフォーマンスを高めるのに役立つ。

では、末梢神経のほうはどうか?残念ながら神経細胞は鍛えても大きさは変わらないことがわかっている。しかし、使えば使うほど神経繊維を包んでいる髄鞘(ミエリン)の厚さは増し、シナプス数も増える。それすなわち神経伝達速度が速くなるということだ。

まとめると、繰り返しの運動をすることで、脳の方では末梢からのフィードバックと合わせて微調整が行われ、その時点で持ち得る最高のシークエンスを形成しようとする。それと同時に、末梢の運動器官では筋肉量が増えると共に髄鞘が肥厚して神経伝達速度が上昇する。

よって理屈的には、やればやるほど「動き」は良くなる。

ゆっくりゆっくり弾いていればそのうち、幻想即興曲もそれなりに早く弾けるようにはなるだろう。何度も何度も弾いていれば、ポロネーズ6番のオクターブ連打も恐らく整って聴こえるようになるだろうし、カンパネラの小刻みな跳躍も片手を見ないでそこそこ正確に捉えられるようになるだろう。

だが、そこまでだ。

確かに、毎日繰り返し練習していれば手はある程度動くようになる。すなわち「鍵盤の位置を正確に捉える」という「作業」はできるようになるだろう。しかし、決してプロのピアニストが用いる流麗な手指の動きと音のコントロールをものにするのは不可能だと思う。

ピアノに限らず楽器演奏は、ただ音を出せばいいというわけではない。「強弱」と「緩急」、これらはとても奥が深く同じ曲でも人によって全く異なる響きとなる。曲を演奏するにあたり、その作曲家が生きた時代の空気感や作曲家の思いを自分なりに解釈して、イメージを手指に伝え、それが強弱と緩急に反映される。「強弱と緩急」以外にも、もっと大切なものがあるだろと思うかもしれないが、突き詰めて考えれば素人とプロの違いはそこにあると僕は思う。

例えば、「ピアノ」という音楽記号。これは「弱く」という意味だ。プロと素人ではその表現の「引き出しの多さ」というか「グラデーションの細かさ」というか「段階」というかが全然違う。つい最近始めた素人の強弱の表現では、ただ単に「弱く弾く」ことだけしか出来ない。というか「弱く弾く」事以外に気を配る余裕がない。幼い頃からずっとピアノに携わってきたプロの場合は、体と脳が完璧にシンクロしているので、脳内イメージをスムーズに末梢にトレースすることができる。このレベルになると、「小雨のような弱さ」とか「薄い霧のような弱さ」、「しんしんと降り積もる雪のような弱さ」など抽象的なイメージを強弱と緩急で表現できるようになる。上手にピアノを弾くという運動を継続しつつも、そのようなことを頭で思い描き、情景に思いを馳せ、繊細な運動イメージをプログラミングして末梢へと流す余裕があるのだ。

上記のような抽象的なイメージを緩急に変換して末梢へトレースするという技能は、「感覚性供応」、「クロスモーダル現象」に通じるものがあると思う。クロスモーダル現象とは、例えば「赤は辛い」「緑は甘い」など、本来は関係ない異なる2つの感覚(視覚と味覚)の間で相互作用が起こる現象のことをいう。もう少しわかりやすくいうと、ショパンのノクターンを聴きながら食べたチョコレートは甘く感じ、怖いオペラの曲を聴きながら食べたチョコレートは同じものでも苦く感じるとか、大晦日に家族で食べるすき焼きと、ヤ◯ザの事務所で1人黙々と食べるすき焼きとではうまさが違うとでも言えばわかるだろうか? (笑)

ピアニストがピアノを弾いている様を見ると、全身の動きがとても優雅だ。そして時折、遠い目をして斜め上方向を見たり、泣きそうな表情になったり、静かに目を閉じたりと、多彩な表情をする。恐らくこの時ピアニストの脳内では、素人では想像もつかない情景やイメージが写し出されているのだろう。脳の中の「記憶」、「感情」、「理性」、「本能」などを司る様々なセクション同士を神経とシナプスで強固に連結させ、リアルなイメージを描きつつも、「ピアノを弾く」という全身運動はほぼオートマチックで同時進行している。とてつもない量の情報を脳内で処理しつつ、美しく正確にピアノを弾くのだ。並のスペックでは到底こんなことはできない。ましてや、脳の神経細胞は減る一方でほぼ未経験のアラフォーが、今からこのレベルになれるわけがない(笑)

アラフォーから、ピアノにおける高い技術を身に付けるのは不可能だとするもう一つの根拠は「老い」だ。

生きとし生けるもの全てに「老化」は訪れる。残念なことに、全盛期は素晴らしい演奏をしていたプロのピアニストも、年齢とともに速い曲や難しい曲が以前のように弾けなくなってしまう。「Lose it or Use it」の法則に従い、必要があって毎日使っていても、神経細胞やシナプスの減少、骨の変形、筋肉の弱体化、関節組織や筋膜の癒着などによりどうしても動きは悪くなってしまう。例えば、プロの短距離走者も齢60を超えたら、中高生の陸上部員にはタイムで勝てないのと同じだ。

40代はまだ若いうちに入るかもしれないが、身体能力のピークはとっくに過ぎている。これから徐々に身体機能が「デクレッシェンド」していくのに、最高峰の技術など身に付けられるわけがない。

結論として個人的に思う事を2つ述べる。

1つは、自分なりの「ベターでベスト」を目指すということ。上述したように、正確に鍵盤を抑えるという作業ならば何歳になってもできる。たとえ、速く上手に弾くことはできなくても、美しい和音の響きを自分の手で紡ぎ出せるだけでも素晴らしいではないか、と自分が納得できればそれでいいと思う。

2つめは、難しい曲を暗譜して個人的にピアノ演奏を楽しむならば、なるべく早いほうがいいという事。「この曲は自分にはまだ早い」とか「敷居が高い」などと変に遠慮して一番弾いてみたいと思う難しい曲を避けていると、老化現象によりそのうち弾けなくなるからだ。

そう考えるとこの3年間、難しい曲ばかり練習してきて良かったと思った。「下手の横好き」と言われればそれまでだが、別に誰かに聴かせるわけではないし、何より「素人でも難しい曲を暗譜できた」という自分の成果に満足している。

とりあえず今年は、ラ・カンパネラを暗譜することを目的としているが来年からは、ブルグミラーをゆっくり丁寧にやっていきたいと思う。…順番が逆なのは言うまでもない(笑)