お陰様で、仕事の合間に独学でピアノを練習し続けて今年で3年目になる。今日に至るまで、ショパンのポロネーズ6番に始まり、幻想即興曲、ワルツ7番、ベートーヴェンの月光第一楽章、ドビュッシーの月の光、リストの愛の夢第3番などを練習してきた。今年は、リストのラ・カンパネラを練習していてもうすぐ暗譜が3分の2まで完了する。これだけ聞くと、超上級者で素晴らしい腕前の持ち主のような感じがするのだが、全くそんな事は無い(笑)幼少期に2年だけピアノを習い、バイエル卒業程度でそこから長らく時が止まっていたため基礎もしっかり固まっていなく、演奏において不安定な箇所が多々ある。まぁ人に聴かせるわけではないし、趣味で弾いている分には立派なものだと自分では思っている。だが、もっと上達したいと思う時もある。
早いパッセージやトリル、スケール、オクターブの連打、アルペジオなど、指が空回りうまく弾けなくて、悔しさと怒りでいっぱいになることがある。むかついてプリビアの鍵盤を何度叩いたことか…(笑)
気づけば今年で僕は39歳になるわけだが、今から10年位毎日練習すれば自由自在に指が動くようになるのだろうか?ピアノにおける技能習得の臨界期はどんなものなのだろうか?
「臨界期」とは何らかの機能や技能を後天的に獲得するにあたってのタイムリミットのことを言う。臨界期にまつわるヒューベルとヴィーゼルが行った、猫の片眼遮蔽実験を簡単に説明しよう。
これはかわいそうだが、生まれて間もない子猫の片目のまぶたを優しく糸で縫い合わせ目が開かないようにし、半年後に糸を外した際に視力はどう変化しているのかを調べた実験だ。結果は、まぶたを糸で縫われていた方の目の視力は完全に失われていた。そしてどんなに訓練をしても、二度とその目は光を認識しなかった。ここで重要なのは、この猫は生まれた時には視覚に関わるすべての器質を正常に兼ね備えていたという事。しかし、せっかく用意された片側の視覚器を出生時から全く使っていないと「必要なし」と脳にみなされ、その機能は捨てられてしまい二度と戻る事は無いという事だ。
視覚機能は生まれてから光を目で捉え、その光を視神経が電気信号に変換し脳が認知するということを繰り返していくことで初めて機能するようになる。脳が不必要と認識してその機能が半永久的に不全となるまでの期間がいわゆる臨界期だ。
脳科学の世界には「Lose it Use it」という言葉があると本で読んだことがある。それすなわち、普段から必要で使っている機能は保たれるが、使っていない機能は捨てられるという意味であり、臨界期とも通じる部分がある。
話を人間に戻そう。
「3歳児神話」、「三つ子の魂100まで」などと言う言葉を聞いた事は無いだろうか?これらは少しニュアンスは違えど、何らかの特性をつけるならば3歳までに決まってしまう、よって生まれてからの3年間がとても大切だというような意味合いが込められている。
東京大学の小児科医長である榊原洋一さん著書の「子供の脳の発達、臨界期敏感期」という本に、子供の臨界期についてのことがいろいろ書かれている。最終的な結論としては、「子供の臨界期に関しては、物にもよるが一概には言えない」ということだった。なぜならそれは、一つ一つの技能に対して大勢の治験者を集め、同じ条件のもと追跡調査するということが難しいため断定はできないのだ。
以前、ピアノの先生をしていたと言う患者さんにお話を伺ったことがある。先生がピアノの音を鳴らし、生徒さんは目をつぶった状態で何の音か聞き当てるという「聴音」という技能はなるべく早くから鍛えた方が良いという。特に、一流を目指すならば「3歳」がボーダーラインであり、3歳になる前から訓練をせねば間に合わないらしい。この「聴音」という技能はいわゆる「絶対音感」に通じるものがあるのだろう。
もっとも、単音や簡単な和音ならば一般の人でもなんとなくの位置を探り、慣れてきたらそのうち1発で当てられるようになるだろう。ところが10個近くの複雑な和音や、果てはあらゆる生活音を音階で感じ取れるようになる等の、並み外れた高度な聴音習得はおそらく成人になってからでは無理なのであろう。なぜなら、必要に迫られて幼少期から訓練を積んできたわけではなく、今の今まで、日常生活においてそれらの音が聞き取れなくても全く不自由しなかったからだ。必要がなければ訓練はしないし、その機能は保たれない。
人は何かを考えたり、行動しようとする時、脳内でプランを練りそして実行に移す。人は生命を維持する中で何度も「思考と選択」を迫られるわけだが、その都度脳内では今まで培った知識、経験、五感から入力された情報などを複雑に合わせ「最適解」を導き出すのだ。その時に脳細胞同士を結んだり、脳で決定したプラン遂行のため末梢神経に命令を流す際には「シナプス」という、神経間で情報伝達するための物質が必要となる。
シカゴ大学名誉教授のピーター・ハッテンロッカーによると、このシナプスの数は乳児の脳と成人の脳で比べると同じ位の数だそうだ。そして、シナプス密度は乳児期にどんどん増加し、8〜12ヶ月の間に成人の1.5倍位まで上昇し、人生で最大の密度になることが確認されているという。その後、1歳前後でピークに達したシナプス密度は急速に減少し始め、16歳位までの間に、全シナプスの3分の1が失われる流れとなっている。
確かに、そう考えると何らかの高度な特殊技能習得を志すならば脳内のシナプスが多ければ多いほど情報伝達と情報処理が円滑に行われるという点において有利となるだろう。そのため、ものにもよるだろうがやはり小さいうちの方が、いわゆる「コツ」を早くに掴みやすく、それをずっと使っていればある程度の年齢になっても持ち続けることができるのかもしれない。シナプスが豊富な幼少期のうちに、必要に迫られ特殊な訓練を受けることで、成人では到達できない領域(日常生活を送る上で必要ない能力)を開拓し、それを常に使い続けることで、大人になってもその能力を維持することができるようになるのだろう。
では本題に戻るが、絶対音感は無理にしても、アラフォーである僕は難曲にある程度対応できるレスポンスの良い「手指周り」(※車でいう足回り)を体得する事ができるのだろうか?すなわち、手指における巧緻動作体得に臨界期はあるのだろうか?
…軽くブログを書くはずだったのだが、前置きが長くなりすぎてしまったので肝心なところなのではあるが、それは次回書くこととする…。