コクワガタの寿命と哲学。

令和5年8月4日現在、家にコクワガタがいる。

このコクワガタは、去年の夏に実家から送られてきた野生のコクワガタだ。

なんでも、東北にいる僕の父が外出しようとした際、玄関にコクワガタがいたらしく、それを東京の孫に見せようと送ってきたのだ。

盛岡から送られてきた野生のコクワガタ。

この度、冬を越し二度目の夏を迎えてくれた事を嬉しく思っている。

野生のコクワガタの寿命は一年程度らしい。

少し前まで明日には死んでしまうだろうか…とハラハラしていた。

だが野生と違い、飼いコクワガタの寿命は3~4年程らしい。

野生と飼育では寿命が違う。

「野生」と「飼育」では、なぜこんなにも寿命に開きがあるのか?

それは居住環境によるものが大きいのだろう。

野生では常に外敵からの脅威にさらされるし、雨風などの天候にも左右される。

それに、食べ物だって毎日食べられるか分からない。

ところが、自宅にて飼育されている状態というのは、ある意味で天国のような環境なのだ。

絶対的な安全が保障されており、ライバルもいなく天敵もいない。

常に水と食料があり、最適な温度と環境が用意されている。

さらに好条件なのは家の人間は僕も含め虫が苦手という事だ。

そのため、べたべた触られたりちょっかいを出されるなどの肉体的ストレスもない。

せいぜい、週に一度餌のゼリーを替える時に大きな手が現れてびっくりして威嚇する程度だ。

優しい声かけ。

野菜に優しい言葉をかけ続けると、糖度が増すらしい。

たまにコクワガタに対しても、「死なないでね」とか「暑くない?」と声をかけている。

これももしかしたら寿命向上の要因となっているかもしれない。

コクワガタは可哀そう?

去年まで保育園児だったうちの子共は当初、コクワガタが可哀そうだといった。

なぜなら、このコクワガタは生まれた地から離れた事で親と離れ離れになった、と。

それに、狭いケージの中にいるため大自然を自由に探索することができなくなってしまったからというのだ。

確かに、親兄弟と離れ離れになってしまった事と、生まれ育った故郷の土を二度と踏ましてやれないと考えるならば申し訳ないと思う。

野生と飼育。

しかし、野生で生きるのと人間に飼育されるのとでは一体どちらがコクワガタにとって幸せなのだろうか?

寿命は後者の方が物理的に長くなる可能性は高い。

寿命の長さとストレスの度合いに相関性があるならば、寿命が長いという事はそれだけストレスを感じていないという事になるのでないだろうか。

しかし、ストレスを感じていないからといって幸せかどうかはまた別の話かもしれない。

では、もし自分だったらどうする?

自分が何らかの動物だったならば束縛がなく自由な「野生」で生きるか。自由と引き換えに快適で安定が手に入る「飼育」される道を選ぶか。

寿命と脈拍。

生き物の寿命は脈拍の速さでだいたい判るそうだ。

例えば、ハツカネズミの脈拍は毎分600回で寿命は2~3年。像の脈拍は毎分20回で寿命は70年くらい。※「ゾウの時間 ネズミの時間」(本川達夫、中公文庫より)

人間は脈拍が毎分70回程。

これを寿命換算すると、本来の人間の寿命は54歳くらいらしい。

ところが現代において人間の平均寿命は80歳代だ。

これは、食の供給や環境の整備と充実、医療の発展などが寄与しているのだろう。

それにより、本来のスペック以上に命が長らえていると考えられる。

そして当然それによる弊害もある。

長寿の弊害。

長くなった寿命分、病気、老後、お金など様々な身体の異常や生活の心配が出てくる。

衣食住環境が以前のそれと変わりつつあるのはペットも然りだ。

近年、飼育されている犬や猫たちの寿命も脈拍から換算した平均寿命よりも伸びている。

さらに、人間と同じような生活習慣病を患っている個体も増えてきているそうだ。

そして、ペットに着せる洋服、ペットフード、おやつ、飲み水、健診と治療など、ペットに関するものは何かとビジネスになる。

需要があれば供給が創られる。

利益が出るならばマーケットが形成される。

言い方は悪いがペットの平均寿命の伸びは要するに「お金」になるのだ。

最近ではペットの癌保険なるものもあるとか…。

愛ある飼育が生み出す無用な苦しみ。

人間が動物を「飼育」するという形で意図的に介入したことで動物たちの寿命が延びた。

そのせいで本来、体験するはずのない病気や老いなどの苦しみを長時間味わっている可能性がある。

それも皮肉なことに、お金と愛を持って至れり尽くせりすればする程だ。

そのような面で考えると、仮に最高の環境で飼われているとしても辛いものがある。

野生の辛さ。

では、「野生」の道はどうだろうか。

これは冒頭でも書いたように、その時のシチュエーションにより明日まで生きているか分からない。

非常にシビアでハードな日常を送らねばならない。それも死ぬまで毎日だ。

野生で一日でも長く生き残るには「群れ」に属するという手段がある。

しかし、この「群れ」には縦社会のヒエラルキーとそれぞれ与えられた役割がある。

人間に例えるならば会社勤めに相当するだろう。

確かに、飢え死にのリスクは下がるかもしれないが、自由はある程度制限される。

野生動物が自然界で本当にたった一匹、無宿者で生涯を通すのは難しく、運も必要だろう。

自分ならばどちらを選ぶ?

今のところ、もし動物になるならば「飼育」か「野生」か、そして「何の動物」になりたいかという問いに対して僕個人的な答えとしては「野生の微生物」がいいかもしれない(笑)

家にいるコクワガタにはこれからも変わらず、あまり干渉せずに接していこうと思う。

僕個人としては、一日でも長く命の限り元気に生きていてほしいと願うが、これすらも飼い主の個人的な利己の精神であり、コクワガタにとっては迷惑な事なのかもしれない…。

動物がどう思っているのかは実際のところ誰にも分からない。