ショパンの幻想即興曲、その正確な曲名は、即興曲第4番 嬰(えい)ハ短調 作品66「幻想即興曲(Fantaisie-Impromptu)」という。この曲は皆が知っている有名な曲であると同時に超難しい曲という印象を持っている方も多いだろう。何が難しいって、「神経質な美女」の如く複雑で繊細で悩ましいメロディーを合わせ持ち、そしてなにより速度が速くきめ細かい。さらに、左右で拍が合わない…。合わない事はない。合うんだけれど、素人は左右の「3」と「4」の拍の違いが最初理解できずにまずここで撃沈するだろう。
「左右の拍の違い」とは何か?を僕は上手く説明できない。だが、幻想即興曲を志した方やピアノを嗜む方は解るだろう。分からなければ楽譜を見ながら弾いてみて欲しい。経験の浅い素人が、もしもこれを初見で難なく理解できて弾くことが出来たとしたら、それは相当なセンスの持ち主だ。
そもそも上級の曲を弾くということは、色んな練習曲を通じて様々なフレーズを経験して、テクニックを得ていなくてはならない。そして、解らなければ先生に教えてもらえるという環境も必要だろう。
さらに、長い年月をかけて力を備え、指と脳の運動領域における細胞数と神経シナプス及びネットワークを増やし、随意運動遂行のための神経伝達速度と熟練度を上げた者のみが上級レベルの曲に対応できる。
ここまでくるともはや、ピアノ演奏においてピアノ上級者は常人のそれとは「作り」が別物となる。まさに「ローマは一日にして成らず」だ。…だが僕はその「ローマ」を割と短期間で成そうとしたものだから大変に苦労した…。
「大変に苦労した」と言っても実は、暗譜自体は約2ヶ月で済んでいる。ポロネーズ6番は6カ月かかったのを考えるとかなり短い。僕が思うにその理由は二つあり、一つはまがりなりにも一年近く毎日ピアノを練習し、ポロネーズ6番という大曲を理解して自分の中に落とし込みたいと努力していることが多少なりとも報われて、幻想即興曲習得を早めたのかもしれない。
それともう一つは、幻想即興曲の構成が割と単純だということだ。最初と最後は同じなのだ。真ん中は調が変わって前後とは違うが、同じようなメロディーラインが3回繰り返されるだけ。最後の最後は新しい部分になるがそれも規則性があり、そこそこすんなり理解できる。
が、それを華麗に弾くとなると別の話であることはいうまでもない。
さて、この幻想即興曲だが中盤13小節めから25小節めまで、特徴的な右手の動きがある。
①A ②A´(①のオクターブ上)③B ④C
わかるだろうか、親指と小指で①とそのオクターブ上の音である②を弾き、すかさず人差し指と中指で③④を叩きこむ。これが1小節の中に四つもあるのだ。
この部分は伸びやかで綺麗なメロディーなため、家で練習していると子供も好きなようで、口ずさんでくれる。かっこよく弾いてあげたいところだが、よく聴くと子供はなぜか「グラタングラタン」と歌っている。
なぜ子供の耳に「グラタン」と聴こえているのか?なぜに優美で繊細で儚げで美しい部分が、よりにもよって「グラタン」に聴こえてしまうのか?
試しに、フジコヘミングさんの幻想即興曲を聴かせてみた所、「グラタン」には聴こえないという。嫁も同じことを言った。(もはや嫁の耳も僕の13小節めから25小節めまでは「グラタン」に聴こえる耳になっていたのだ。)
「グラタン」に聴こえる理由を僕なりに考えてみた。
①A ②A´(①のオクターブ上)③B ④C
この構成に、子供が歌っている「グラタン」を当てはめてみると、
①A(タ) ②A´(ン) ③B(グ) ④C(ラ)
このようになる。どうやら、始まりは「タン」からのようなのだ。それが何度も繰り返されて「タングラタングラタン」と聴こえている。…自分でも何を言っているかよく解らなくなってきたが、そうゆうことなのだ(笑)読んでいる方からしたら、僕以上になんのことだか解るまい。
恐らくここの部分の弾き方としては、①と②にアクセントを置き、③と④を目立たないように押えつつも上品に捌き、そしてペダルを踏むことで全体に揺らぎと響きを与えるというのが理想なんだと思う。速くて動きが忙しい部分ではあるが、ここは決して乱暴に弾いてはいけない。ここをどれだけ間を上手く取って優雅に美しく弾けるかがポイントなんだろうと思う。
幻想即興曲には上記のように「速くて忙しい部分だがとても美しく、決して乱暴に扱ってはいけない」部分が多々ある。とってもデリケートで繊細な曲なのだ。悲しい事に、弾き手の器量が良くないと変になるし壊れる。時間はかかるかもしれないが、なんとしてもこの曲を包み込めるような器と技術を身に付けたいものだ。しかしそれまでは「グラタン」の音が僕の家族の内耳に響き、有毛細胞から聴神経を介して側頭葉で認知されることになるだろう(笑)