ショパン「ポロネーズ第6番変イ長調 作品53番」と脳の「報酬系」について。

僕は小学校5年生時から2年間だけピアノを習っていた。その後、27年近くのブランクを経て、独学だが2021年11月末よりピアノを再開した。施術所(仕事場)に電子ピアノを持ち込み、平日は仕事が始まる前か休憩中、終了後のいずれかで2時間近く練習する。

今までピアノを弾く習慣が無かったのに毎日2時間の練習が続くのかどうかだが、意外と2022年10月末の時点では楽しく続いている。

2021年に行われたショパンコンクールに影響を受けて、ショパンの「ポロネーズ第6番変イ長調  作品53」俗にいう「英雄ポロネーズ」がどうしても弾けるようになりたくて約一年かけて(現時点で)ほぼ毎日練習している。

この楽曲は「英雄ポロネーズ」と世間では言われる。だが、ショパンはこの楽曲を「英雄」とは名付けていない。ショパンは標題を嫌っていたらしい。なので、僕もポロネーズ6番と呼ぶことにしている。

僕は楽譜が読めない。正確には、瞬時にそれがどの音なのか判別出来ない。そのため、まずはポロネーズ6番の楽譜の全てにドレミを書き込んだ(笑)ポロネーズ6番は複雑な和音が多数出てくる。それら全てに所狭しと「ドレミ」を書き込んだわけだが…これは相当に骨の折れる作業だった。

全てにドレミを書き込み、フラットは青、シャープは赤で印をつけて、調が変わったり、ヘ音記号やト音記号が入れ変わるところも全て印をつけた。マエストーソなど弾き方の細かな指示にも一応意味を書き込んだが、まずは暗譜することに勤しんだ。

最初の出だし、1小節めから鬼のように難しくいきなり躓いた。

17小節めから出てくるなじみのメロディーに辿り着くまで、一カ月以上かかったかもしれない。それほど最初は難しかった。

ポロネーズ6番を僕の様な素人が弾こうとする際、腰を据えて本気でものにする覚悟があるのかどうか1~13小節目までがその気持ちを試してくるように感じた。

ここを投げ出さず、心腐らず、きちんと暗譜して落とし込めるかどうかでその先にでてくる難しいフレーズもきっと弾きこなすことができると僕は思う。現に最後まで暗譜することが出来た。並大抵のことではなかったが、最初から最後まで暗譜だけなら6カ月で出来た。…滑らかさや上手さはおいといて。

素人が半年でポロネーズ6番を暗譜したことに関して、これが速いのか遅いのかは分からない。だが自分の中では凄いと思っているし、自分をほめてやりたいと思う。無理だと思っていたけれどやれば出来るのだと自分に自信が持てた。

これもひとえに、ポロネーズ6番がもつ音色の美しさのおかげだと僕は思っている。

ポロネーズ6番は荘厳で気品があり美しくも力強い楽曲だが、とても難しい。難易度でいうと間違いなく上級の楽曲だ。

絶対こんなの難しくて弾けるわけないと思っていた憧れの楽曲の音を自分の手で1音1音つむぎ出してるという事が非常に誇らしく、嬉しかった。不格好で例え上手く弾けなくても、左右の指が正確な位置さえ捉えていれば美しい音が耳に響く。これが癖になった。そのうちに、この次の音、この次の次の音がどうしても聴きたいと強く思うようになった。

次の音が聴きたいなら自分で正確に打鍵しなくてはいけない。よって、より強く集中力を持って楽譜を見ながら指を次の音の位置に置いていく。次第に、和音の響きだけを楽しむ事から、和音の連なり、すなわちある程度連続したフレーズの響きが聴きたくてしょうがなくなった。

上記の通り、聴きたいなら自分で正確に弾かねばならない。それを積み重ねているうちに割とあっという間に全部暗譜できたというわけだ。

実はこれには脳の「報酬系」が大きく関係している。

「報酬系」とは、欲求が満たされた時や、満たされると分かった時、満たされそうというような時に活発になる脳における神経系の働きのことだ。

絶対自分には弾けないと思っていた憧れの楽曲、その音色を誰であろう自分が奏でつつ直に聴いているという快感と、その先に待つ美しい「音」が聴きたい(弾きたい)という期待と欲求が脳の側坐核を刺激し、A10神経を伝ってドーパミンという神経伝達物質が出て快感とワクワク感を得ているのだ。

「報酬系」はギャンブル依存やアルコール依存などの「嗜癖」とも関連が深い。そう考えると脳の悪い働きのように思えるかもしれないがそんなことはない。

「報酬」という名の通り、本来は頑張って結果を出した報酬として快楽や達成感が得られるというものなのだ。ただただ快楽に溺れる依存症のそれとは一線を画す。

自分で創意工夫をして仕事や学業でよい結果を出した時を思い浮かべてみてほしい。人によってはきっと泣くほど嬉しかったという経験もあるだろう。

なにか難しい技術の習得や作業工程の遂行に関して、報酬系を上手く使うと効率は上がる。

子供に「~~が出来たら~~を買ってあげるよ」といって意欲を掻き立て集中して事に当たらせる場面を見たことがないだろうか。簡単にいうとこれだ。

アブラハム ハロルド マズローという心理学者が唱えた人間の欲求5階層において、1番上位の欲求は「自己実現の欲」とされている。

図らずともこの度、ポロネーズ6番の習得に関して僕は、脳の「報酬系」を使い、「弾けるようになりたい」という「自己実現の欲求」とリンクさせることで寒い日も暑い日も忙しい日も忍耐強く練習に励み、暗譜することができた。

そして約1年かけて、ピアノを弾く習慣が生活サイクルに組み込まれた。人間の細胞には「ピリオド」という体内時計を司る遺伝子が組み込まれている。ピアノに24時間以上触れていないと生活サイクルが乱れていると細胞が判断して不調をきたすかもしれない…(笑)それは極端だが、1日ピアノを弾いていないとなんとなく気持ちが悪いと思うようには確実になるだろう。それに、筋トレなんかもそうだが、継続していないとこれまで築き上げた苦労が水の泡になるのでは?という焦りや不安を薄っすら覚える。その多少の強迫観念も相まって、「ピアノを練習する習慣」の継続はより強固なものとなるだろう。

自分の身の程以上のハイレベルな課題を継続させてモノにするには「脳の働き」と「身体のサイクル」、「心理」をうまく組み合わせる事が肝要だ。それにより、長く強くモチベーションを保つことが出来て結果を出しやすい。そしてなにより、離脱から守ってくれると自分自身の経験を通じて実感した。