「生き霊」について考える

まず最初に言っておくが、これはオカルトの話ではない。そして僕は変な宗教、気功の類もやっていない。それを踏まえたうえで言うが「生き霊」はいると思う。生き霊のせいで健康が害されるというのもあると考えている。今回はそれについて僕なりに説明する。

例えばだ、あなたが金曜日の夕方に職場の上司と揉めたとしよう。それも三連休前の金曜日の夕方にだ。過失割合としては2対8くらいで、どう考えても向こうが悪い。所謂、理不尽な言いがかり。あなたは相手を立てて、悪くないけど一応謝って終わらせようとした。本来、向こうが謝るか、上司として何らかの落とし所を持って形だけでも円満に解決とせねばならぬところを、何のアクションもなく強い遺恨を残して業務終了。そして帰宅。

ここからが問題だ。こんな状態で週末を楽しめるはずがない。なぜなら、先ほどの上司の理不尽な対応が忘れられず頭の中に残っているからだ。

金曜日、夕食後にお酒を飲みながら映画を観る、アナザースカイが終わった頃ゆっくりお風呂に入る、少し夜更かししてふかふかの布団で寝る…。などの何気ない最高に幸せな時間を過ごしていても、頭の中には先ほどの嫌な記憶が色濃く残っている。忘れたくても忘れられない。

なんなら、お酒を飲みながら映画を観てる時も、お風呂に入ってる時も、布団で寝てる時も、隣にその上司がピッタリくっついていつも一緒に居ると言っても過言ではない(笑)※実際には脳内。

翌日、恋人と箱根の温泉に行くとしたなら、ロマンスカーには恋人とあなたの隣にはもれなく上司が。翌々日、両親と会食中もお父さん、お母さんとあなたの隣に上司。家電量販店で、新しいテレビを検討してる際中も言わずもがな隣には上司がいる。そして、連休が終盤にさしかかり火曜日が近づくにつれて隣の上司の存在感が増してくる。あたかも、上司がいつもつけてる香水の匂いがしてきたり、そろそろさわれるんじゃないか?くらいに。

こうなると、月曜日の夕方はとてつもなく憂鬱な気分になるだろう。明日、会社に行きたくない。あの上司に会いたくない。恐らく、夜はあまり眠れないはずだ。

火曜の朝、重い心と体を引きずり出勤し朝一番、こちらから例の上司に勇気を出して挨拶をする。…それを受けて上司、まさかの無視!!…なんてされた日には輪をかけてどん底の気分になる…。

対人関係でとても嫌な思いをした時、ずっとその事が頭から離れないという経験が誰しもあるだろう。これはもはや「生き霊」といっても過言ではないと僕は思う(笑)

ここでポイントが2つある。

1つは、なぜずっと頭の中に嫌な思い出が残っているのか?という事。これは、脳内で危機的状況の情報処理をしているからだと推察する。あの時自分は何がまずかったか?どうすれば回避できたか?また同じ事になったらどうすべきか?相手に関して何か見落としはないか?などを大脳皮質、すなわち理性脳を使って徹底的に分析ているのだろう。それともう一つ、本能を司る大脳辺縁系にて生じた、怒り、恐怖、悲しみなどネガティブな感情も同時に処理している。

対策立案や事象分析の処理と感情の沈静にかかる処理、どちらが早く終了するかは人によるだろう。マイナス思考の人は恐らく感情鎮静の方が手こずるし時間がかかるのではないか。なので、これら二つの情報処理が完了するまでは頭の中から嫌な思い出はなくならないし「生き霊」は消えない。目下、脳は最優先でそれについての情報処理に多くのメモリを使うため、映画を観ても、恋人と過ごしてても、親と美味しいご飯を食べてても、必然的に大抵の事は上の空となってしまう。

自由な時間を楽しむにはある程度、脳の空きメモリが必要だ。普段の仕事では言葉の通り「ワーキングメモリ」として使用しているが、休みの日はそれを用いて素晴らしい経験を脳内で咀嚼してゆっくり味わう事で幸せを感じたいものだ。ところがその脳のメモリが嫌な奴との嫌な思い出の処理に使われて、その他の情報が全て希薄になってしまうのは非常に勿体ない。

2つめのポイントは、それが行き過ぎると自律神経が乱れて体調を崩すという事だ。上司に不当な扱いを受けた際、なぜ大脳辺縁系が働きネガティブな感情が生まれたか?それは、入力された情報を元に脳が相手を「敵」と認識した証拠だ。それにより、敵から命を守るため、戦う神経である交感神経が活性化したのだ。「匂い」以外の全ての感覚情報は真っ先に間脳に運ばれる。間脳の視床下部は自律神経を司る最高中枢だ。自律神経のうちの交感神経が優位になると、末梢血管収縮、心拍上昇、瞳孔散大、アドレナリン増加など、身体を動かすのに適した状態となる。しかしこれが長らく続くと、消化吸収能や免疫力が低下したり、血流が悪くなったり、胃腸粘膜が活性酸素に傷つけられたりといい事はない。更には頭痛、不眠、動悸、過敏性腸症候群など深刻な病にも繋がる。

交感神経は、長期的に優位になり続けていいものではないのだ。なので本当ならば喧嘩を売られて相手を敵とみなしたなら、全力で走って逃げて二度と会わないか、ぶちのめして制圧するなど、脅威を排除すれば週末はハッピーに暮らせただろう(笑)だがそんな事はできるはずがないし、やれば自分が確実に不利益を被る。結局、戦いの神経である交感神経が優位となっても本来の使い方をしないので、無駄にスーパーサイヤ人になってるようなものだ。問題の根本解決がなされるか、自分の脳内でその事象に関する処理が終わるまでは、必然的に交感神経が優位になりがちになる。交感神経は生きる上で大切な神経だが、時として自分を傷つけてしまうリスクがある事も知っておかねばならない。

結論としては、「生き霊」の正体は自分の脳という事。決して、どこかで誰かが負の念を送っていたり、呪いをかけているわけではない(笑)

対人トラブルでストレスを抱えて発症した何らかの身体症状のほぼすべては自律神経由来のもののはずだ。なぜならば、上記の通りトラブルはある意味で「戦い」だからだ。敵対した相手に自分の名誉か財産が傷つけられた事で交感神経が優位になり、逃げる事も戦う事もできず我慢して耐え続ける、もしくは合法的に戦い続ける事で長期的に自律神経のバランスが乱れて身体に不調が生じる。

考え方、感じ方、解釈の違い、もしくは一方的な悪意によりトラブルは勃発する。そしてそのトラブルは事の大小にもよるがそう簡単に解決しないものが多く、何らかの遺恨を残す。その「遺恨」は忘れられない記憶となり、まるで「生き霊」の如く脳内に住み続ける。人間は不完全な生き物で、どんなに頑張ってもヒューマンエラーは起きる。言動を行使する側も、受け取る側も不完全で未熟だからトラブルが起きる。対人トラブルで自分が嫌な思いをするのは避けたいものだが同時に、自分が他人に嫌な思いをさせてはいけない。ましてや絶対に、相手の脳内にいつまでも居座る「生き霊」を残してはいけないのだ。

もし現在、対人トラブルで「生き霊」を抱えているとか、抱えやすいという方は、時と場合にもよるがまずは自分を脅かす対象人物から離れる事を考えた方がいい。他にも、戦う、仲間を増やす、然るべき所に相談するなど、時と場合に応じていくつか選択肢がある。あとは上述の通り、僕が定義するところの「生き霊」とは対人トラブルにより起きた脳内の事象なので、脅威の排除、情報処理の完了、手打ち和合による情報の上書き保存などが行われれば「生き霊」は自然と気にならなくなるはずだ。

あと、「自分は悪くない」「相手がどうしても許せない」「謝らせたい」などと自分の考えに強く固執している場合もある。その時は、いわゆる「我」や「執着」を捨てるというのも一つ。相手を変えるより自分を変えた方が早い。

人の何気ない気遣い、優しさなどの人徳、さらには素晴らしい芸術に触れた時、「感動」や「感謝」、「温もり」を感じる。そしてそれは心に残る。まるでお守りのようにいつまでも。自分自身、関わる全ての方に良い影響を与えられる人物になりたいと心から願うし、社会がそのような方々で溢れるといいなと思う。