続・ポケモンバイオレットと前頭前野とオキシトシン。

ゲームを1時間以上行うと、人を人たらしめている前頭前野の機能が抑制されるらしい。※(川村隆太著書 スマホが学力を破壊する より)果たしてポケモンバイオレットもそうなのか?という事を考察しつつ前回同様、最近はまっているポケモンバイオレットに関しても書いていく。

ポケモンバイオレットをやり初めて1か月くらいが経った。一応、大まかなストーリーは全て終了した。ラスボスを倒し、エンドロールも流れた。いわゆる「全クリ」状態。ただ、最近のゲームはここからが本番で、「全クリ」してもやり込み要素がふんだんに散りばめられていて、プレイヤーを飽きさせず、離さない仕組みとなっている。

まず、全クリ後に解放されて個人的に気になったある新機能がある。それは、ゲットしたポケモンの素養を正確に見抜く「ジャッジ」という機能だ。HP、攻撃、防御、特殊攻撃、特殊防御、素早さの六つの項目。これらが数値化されていてそれぞれ下から、ダメかも、まあまあ、かなりいい、すごくいい、すばらしい、さいこう、の6段階で評価される。そして、その6項目の合計ポイントに応じて総合評価が決まる。下から、まずまずの能力、平均以上の能力、相当優秀な能力、素晴らしい能力!の4段評定。

今まで一緒に旅をして来た6匹のポケモン達。傷ついたり、進化したり、美味しいものを食べたり、ピクニックをしたり、雨の日や風の日、雪山や砂漠など色んな場面を過ごたこの6匹は僕にとっては戦友であり親友である。そんな彼らは一体どんなもんなのだろうか?と試しにジャッジ機能を使ってみた。すると、メインの6匹中5匹がなんと「まずまずの能力」という最下位の評価だった…。残り一匹は下から二番目の「平均以上の能力」。この結果を見て正直僕は少しだけ残念に思った。その理由は、自慢の6匹全部があわよくば「素晴らしい能力!」であってほしかったからだ。(笑)

別に自分は「優性思想」の持ち主というわけではない。…ではないのだが、どうせなら優れたポケモンを持ちたいとプレイヤーなら皆思うのではないだろうか。ということでとりあえず、手辺り次第に同じポケモンを新たに何匹も捕まえてジャッジしまくった。(笑)※(ジャッジ機能はポケモンを捕まえないと使えない)その結果、確かに「素晴らしい能力!」という評価のポケモンはいた。一匹それを見ると、6匹全部「素晴らしい能力!」で揃えたいという欲がどうしても出てくる。

だが、ジャッジ機能を駆使して新たに揃えた6匹は確かに優秀かもしれないが、まだ自分に懐いていない。

「懐く」とは、昔のポケモンにはなかったが、一緒に時を過ごしたり、特別な思い出をつくったり、手塩にかけて育てると文字通りポケモン達が自分に懐いてくれるという機能の事。

自分に懐いているポケモンに話しかけたり身体を洗ってあげるとハートマークがたくさん出てきたり、いい働きをするようになる。さらに極めつけは、バトル中に相手の猛攻により瀕死の重傷を負い、本来なら戦闘不能になるところを、体力を一ミリだけ残して根性で踏ん張る事がある。その時に「○○(懐いているポケモンの名前)は、○○(主人公の名前)を悲しませまいと踏みとどまった」というアナウンスが流れるのだ!これはもう、涙がちょちょぎれるような思いになる。「ごめん!」「相手の力を見誤った俺の責任だ…」「もういいから休んでくれ」「早く回復させてあげなきゃ!」と、本気で思う。

なので結局、いくら評価が悪かろうが、ポンコツだろうが、絆を感じるし、今までずっと一緒にいた自分に懐いているポケモン達が一番かわいいという結論に至る。

このように「情に流される」という僕のやり方は、ゲーム攻略という観点からみると最適化されていないというのは解っている。上記の「涙ちょちょぎれ」のくだりに関しては、たかがゲームだろ?とか、気持ちわる!とか思う人もいるかもしれない。だが、「情に流される」すなわち「ゲームのキャラに情が湧く」という部分が重要なポイントになると僕は考えている。

「ポンコツだろうと絆を感じる」と上述したが、これは紛れもなく「愛着」という状態だろう。果たして二次元の存在に人は愛着するのか?という事だが、たぶんする。

なぜなら、アニメや漫画好きな方はその登場人物が好きすぎて「嫁」と呼んで部屋中関連グッズだらけの人もいるし、女性の方でも男性キャラクターにはまっていてそのキャラクターのイベントには欠かさず足を運ぶ、そしてそのような方が大勢集まっているというコミケの場面をテレビで見た事がある。

「愛着」にはオキシトシンというホルモンが関係している。オキシトシンは妊娠出産、乳汁射出などに関わるホルモンで一見、女性にしか出ないのかと思うが男でもオキシトシンは出る。オキシトシンは自分の愛着対象を命がけで守るためのホルモンといっても過言ではない。「命がけ」と書いたが、オキシトシンは「攻撃性」とも関連がある事も解っている。草食動物の赤ちゃんが肉食動物に喰われそうになるところを草食動物の母親が死に物狂いで撃退するという、自然界における番狂わせのシーンを見たことがないだろうか。命懸けの「種の保存」はいうなれば決死の母の「愛」でありオキシトシンのなせる業といえる。

このオキシトシンだが、実は何も自分の家族だけではなく時として、国や学校などなんらかの自分が所属している団体という概念に対しても働くシステムになっている。国同士の痛ましい争いや、応援しているスポーツチームを巡っての凄まじい乱闘などは、草食動物の母が怒り狂って肉食動物に襲い掛かっている様に通じるものがある。それらには少なからずオキシトシンが関与しているのだ。

オキシトシンが所属団体に対して働く意味は恐らく、自身が身を置くコミュニティーの保全と、その崩壊を防ぐためだ。人類は太古から集団で生活してきた。そのため自分が所属する小さな社会の崩壊は生活の不安定化を招くし、死にも繋がる。そうはさせまいという本能が働いているのだろう。

しかし、実在しない二次元のアニメやゲームキャラクターに対してオキシトシンが働く、もとい「愛着」が湧くというのはどういうことなのだろうか?生存と繁栄の本能に直結した「種の保存」、「コミュニティーの保守」のどちらにも当てはまらないではないか。

ここで、「愛着」に関しての実験を一つ紹介する。詳細は省くが、産まれて間もなく母を失った赤ちゃんサルの実験だ。実験者は2体の「母」をサルの赤ちゃんに用意した。1体は、針金で出来た無機質な張りぼての人形。この「針金の母」にはミルクを持たせた。2体めは、柔らかい毛でおおわれた「ぬいぐるみの母」。ぬいぐるみの母はミルクを持っていない。サルの赤ちゃんはどのように行動したかというと、ミルクを飲むときだけ「針金の母」の元に行き、それ以外は「ぬいぐるみの母」の元で時を過ごした。夜寝る時も「ぬいぐるみの母」と共にいたのだ…。サルの赤ちゃんを思うと悲しくて、同時に胸くそ悪い実験だ。しかしここで重要なのは「ぬいぐるみの母」は赤ちゃんサルにとって「生きるために欠かせない大切な存在」だったという事だ。「ぬいぐるみの母」はサルの赤ちゃんにとって「愛着基地」の役割となっていたのだろう。ミルクが出るなどなんらかの衣食住に関わる実益がなくとも、ただただ「安心感」が欲しい、疑似的なものでも「母」を感じたいという、言うなれば「心の安定」を「ぬいぐるみの母」に求めた。どのような形でも本人が「愛着」を感じられる存在は、生存に不可欠な衣食住に匹敵する必須項目なのかもしれない。

これを根拠に考えると、ゲームやアニメのキャラクターに愛着が湧くというのは、その人にとって心の安定を図るための一つの「要石」となっているのではないかと推測する。衣食住が満たされていても、その要石がないと心が不安定になり「明日」をうまく生きていけないのだろう。たまに、「押し」という存在がいなくなる事で「ロス」が起きて「もう生きていける気がしない」と冗談交じりに言う人がいるが、その人にとっては本当にそうなのだろうと今なら思える。それだけ「心の安定」は大切であり、そのために人は「何かに愛着したい」のだと思う。

さて、これらを踏まえた上で話を戻そう。ゲームが心を安定させる要石になっているというのは、果たして不健全だろうか?昔の人ならば皆声をそろえて「不健全だ」というだろう。確かに、日々の生活に実害が出ているのならば是正が必要だ。でも、特に問題がないならいいのではないだろうか?「今」が辛い人も沢山いる。明日を頑張れる力が欲しい、明日がなければ当然未来もないと悲観している人もいるだろう。その中で、自力で明日を乗り超えるために今、「ゲームを通じての心の安定」がどうしても必要だというのならば、他人にそれを止める権利はない。

今のゲームは相当によく作り込まれている。ポケモン達のしぐさやバトル中のちょっとしたメッセージなど、プレイヤーのオキシトシンに働きかけてくるような仕掛けがたくさんある。ゲームソフトには、製品とゲームの世界からの離脱防止網が何重にも張り巡らされている。

「ゲームを1時間以上行うと前頭前野の不活を招く」というのはゲームの種類やプレイ時間などの条件により多少はばらつきはあるかもしれない。しかし、ゲームをやればやるほど寝不足や目覚めの悪さ、眼精疲労、首こり肩こり、腰痛、集中力の低下などによる翌日のパフォーマンス低下などは確実に起きる。さらにはそこから頭痛、吐き気、匂い過敏、光過敏、音過敏、鬱、自律神経失調症状など、様々な不定愁訴が起きる可能性もある。

「心の安定」を求めてゲームに没頭するあまり、身体に疲労と負担が蓄積して体調を壊し、逆に「心の不安定」を招く恐れがある事をゆめゆめ忘れてはならない。