ポケモンバイオレットと前頭前野。

最近、任天堂スイッチの「ポケットモンスター バイオレット」にはまっている。

当院ブログにて、「さんざんテレビゲームやデジタルスクリーンの愚を並びたてていたくせに、自分もやってるじゃないか」と思う人もいるだろう。それに関しては身も蓋もない…。ただ、敵を知らずに批判だけするのは良くないと思い、ちょっとやってみたのである(笑)

まず思ったことは、最近のゲームのグラフィックは凄い。任天堂スイッチはソニーのプレイステーション5程ではないかもしれないがとても画質が良い。どこかで聞いた事があるのだが、初期の任天堂のゲーム機であるファミリーコンピューター、いわゆるファミコンのスペックが7だとした時、最近のゲーム機のスペックはというと、なんと7億近くだそうだ…。

ゲーム内における水面の揺れ方や、そこに移った光の反射の仕方など、それらは本当の自然の物理法則をトレースして処理しているらしい。なのでとてもとてもリアルなのだ。

当院の患者さんとゲームの話しをすることが最近はお陰様で増えてきたが、コロナの自粛期間中に引きこもってゲームばかりしていた方も多い。その理由としては、ゲームの世界に入ると癒されるからというものが大半だった。最近のゲームは、文字通り「自由に」世界を探索できるような仕組みのものが多い。空を飛んだり、山を登ったり、海を渡ったり、高速で移動したり。さらには四季や時間のシチュエーションも楽しめる。高スペックのリアルなゲーム内で、仮想現実の世界を味わい、普段できない事をして、見れない景色を見る。自粛中、感染の恐怖と窮屈さで精神が不安定になる方も多かった中で、ゲームが救いとなった。そのことからも「ゲームは全てが害悪」とは言い切れないのは事実だ。

次に、今僕がはまっているポケモンバイオレットに関しての事を書いていく。

小学生の頃、僕が遊んでいた初代ポケモングリーンに比べると、今のバイオレットは当たり前だが大きく進化している。

まず、ポケモンの数が圧倒的に多い。

初代ポケモンの総数は151匹だったが、現在はなんと1000匹を超えているそうだ…。その中の400匹近くが今遊んでいるポケモンバイオレットに出てくる。小学生だった当時、あの手この手で151匹すべてを集めてポケモンマスターになったが、今回は400匹すべてを集めようとは今のところは思っていない…。

2つ目は、とにかく自由度が高いということ。

ポケモンバイオレットも上記したようにオープンワールドで、自由に世界を動いて遊べるようになっている。そして、昔は決められたストーリー通りに動かないと次に進めない仕組みになっていたが、バイオレットはどこからでも自分で好きに進む事ができる。さらに特筆すべきは、主人公をオリジナルで創る事が出来るという事だ。男性か女性か、髪や肌、目の色、髪型、帽子、リュック、サングラス、手袋、制服の春夏秋冬のバリエーションなど、全て自由に自分で選ぶことができる。その他、いつでも自撮りができたり、各地のいろんな飲食店でご飯を食べたり、ポケモン達を洗ったり、キャンプをしたり、材料から厳選した手作りサンドイッチを食べたりも出来る(笑)

この「選択の自由が与えられている」というのはとても重要で、実生活においてもQOLや健康、幸福度、寿命、はたまた事件現場にて犯人の武装解除と早期投降にも関わる程だ。※詳しくは当院YOUTUBEをご覧下さい。

3つ目は、ゲーム内において「自分は選ばれし稀有な人物」としてチヤホヤされる率が高くなっているように感じた。

ゲームの主人公なのだから当たり前だという事は解っている。それに別のゲームであれば地球を、いや、宇宙を救うような壮大でとてつもない使命を背負う類まれなる器量をもった主人公もいるだろう。確かにそれからみれば、ポケモンの主人公はスケールが小さいかもしれない。しかし、現実ではその他大勢に埋もれ、世界の中心になどなれず、社会の一歯車として「協調性」というレールの上から逸脱せずに走るだけの人生。それに比べ、ゲーム内においての自分の立ち位置は、すこぶる気分がいいものであることは間違いない(笑)たぶん、無意識にもそう思っているプレイヤーは多いのではないだろうか。

なぜならポケモンバイオレットにおいて主人公は、ポケモン学校に転入し、ポケモントレーナーになったその日に生徒会長兼、現ポケモンチャンピオンと家族ぐるみの友達になり、校長に目をかけてもらい、偶然未来から来た優れたポケモンに唯一懐かれ、どこにいっても何をやっても「凄い」、「君が噂の…」とか言われ、たった一人で半グレ集団を壊滅においこみその後、半グレの大将に恩を売って友達になり、各地の「ヌシ」といわれる大きなポケモン達をバッタバッタとなぎ倒し、世界トップクラスの研究者の研究に協力し、世界のタブーに入り込み、世界で1人だけ未来のポケモンを好きなだけゲットするなど、やりたい放題様々な偉業をなす…(笑)

初代の時はゲームのスペックなどの関係で表現に限界があるせいか、そこまであれやこれやと主人公をヨイショしたり、過度な特別感を持たせてはいないように感じた。まあとにかくゲームは現実世界では到底出来そうもない事を体験させてくれる、「夢」をみさせてくれることは間違いない。

4つめは、少し真面目な話をするが、ポケモンバイオレットと前頭前野との関係だ。

「ゲームを1時間以上プレイすると前頭前野の働きが落ちる」という事は以前本の紹介で書いた。恐らくポケモンバイオレットもそうであろう。前頭前野とは、脳の中でも「人を人たらしめている」部分である。すなわち、共感力や忍耐力、思慮深さなどに関するとても重要な部分だ。

ポケモンシリーズは基本的にロールプレイングゲームだ。ロールプレイングゲームは「レベル上げ」という作業を行わないといけない。草むらや山などに入り敵と遭遇して戦い、経験値を積み重ねてレベルを上げる。レベルが上がる程、後の敵を倒しやすくなるのだ。しかし「レベル上げ」をしている以上は話が先に進まないし、楽しくない。そして同じ事の繰り返しなため苦痛であり、なにより時間がもったいないという「不毛な作業」だ。しかし、これを我慢して行わないといつまでたっても主人公は弱いままで、強い敵から逃げ続けなくてはいけなくなる。1日のゲームプレイ時間が30分以内などと決めれられている子共の場合、一日一回の貴重なゲーム時間を「レベル上げ」のみに費やすのはゲームにおけるカタルシスを享受できにくいため、子供はすぐに結果がでるレースやアクションゲームを選ぶ場合が多いと思われる。

そしてレベルを上げるために、敵を倒すという行為に関して、ドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲームの場合は、人に害を与えるモンスターを主人公たちが武力を行使して討伐し、レベルを上げるという設定になっている。それならばモンスターを駆逐して一般人の平和を守っているという一応の大義が成り立つ。

ではポケモンの場合はどうか。こちらは、自分のポケモンの武力を行使して野生のポケモンを瀕死の状態まで追い込み経験を積みレベルをあげるという設定。しかし野生のポケモンは別に「敵」ではない。なんならポケモンの世界において、「人間とポケモンはパートナーでありポケモンの自由は尊重されるべきだ」的な価値感もある。

初代のポケモンは、草むらなど野生ポケモンに遭遇するようプログラムされた場所を任意で移動中に一定の確立でランダムにエンカウントしてバトルになるという設定になっている。すなわち敵が見えない。

バイオレットの場合は、野生のポケモンが普通に見えるのだ。ポケモンやゲームの事が解らない読み手の人には想像しずらいかもしれないが、普通にそこいらへんに野生のポケモンがうろついているのが見える。なので、それらのポケモンを避けて先に進む事も出来る。しかし、それではレベルはあがらない。一応、戦わずしてレベルをあげる道具もあるが、それですべてをまかなう事は難しい。よって、そこいらへんにいる野生のポケモンに自ら近づいていって喧嘩を売ってレベルをあげるのだ。

しかしそれは言うなれば、なんの罪もない野生のポケモンに暴行を加えて弱らせ、モンスターボールで捕獲して自分の下僕とするか、コテンパンに叩きのめし瀕死状態に追い込んでレベルを上げるということだ。ポケモンはモンスターボールにいれて6匹までしか帯同が許されない。その他の捕獲したポケモンは、デジタル信号に変換してパソコンのボックスに送られる。ただ単に図鑑集めのために捕獲されてボックスに送られたポケモンの中には、二度と日の目を見ないものもあろう…。それすなわち捕獲主が逃すかなにかしない限り、一生、自力では出れない「ボックス」という電脳空間に閉じ込められるという事だ。

「野生のポケモンはそこいらへんにいる」と書いた。その中には、群れでいるものもある。ポケモンには雄と雌の概念もある。小さな進化前のポケモン達が何匹かいて、その中心に同種の雌の進化後のポケモンがいたら、その一匹はお母さんなのではないか、雄ならばお父さんなのかもしれないと推測できる。そうした場合、むやみに傷つけたら可哀そうではないか…と思ってしまう節が正直ある。

群れの中の強そうな雄ポケモン(もしかしたらお父さん)を捕獲していいものか、子供たちの前で傷つけて、無理くり捕獲していいものか…子供たちの今後の生活、トラウマなどを考えてしまう…。

じゃあゲームするなという人もいるだろうし、たかがゲームだろ?と、僕の事をめんどくさいという人もいるだろう。※実際はプレイして僅1か月で帯同ポケモン平均レベル75以上、図鑑完成度50%以上であるため、生態系を壊すレベルで野生のポケモンに追い込みをかけまくり、鬼畜の如く捕獲してボックスに叩き込んできた…ポケモン達よ、本当にすまない(笑)

ただ、それだけ今のゲームはリアルなので、余計な事を考えてしまうという事だ。しかし、ポケモンと戦ったり捕獲するのを「可哀そう」とか、「このポケモンはお父さんかお母さんか」などと考えるというのは、前頭前野が働いている証拠でもあるのではないか?

その他にもゲーム内で、明らかに年上で自分よりも立場が上のキャラクターに対して返答する際、「どうすれば気分よくなってもらえるだろうか」と考えたり、「久しぶりに主人公の親に顔を見せるため故郷の町に寄ろう」と思ったりする時なども前頭前野が働いているのではないのかと思ってしまう…。もしできるなら、ファンクションMRIを用いて、野生のポケモンや、相手を慮るやり取りなどで本当に前頭前野が不活状態なのかを専門の学者に確かめてもらってみたい…。

最後にまとめとして、思う事を書いていく。

これからもゲームはよりリアルになっていくだろう。以前、「スマホ依存」の本の紹介でも書いたが、SNS関係のIT企業同様、ゲームとゲーム機を造っている会社もビジネスなので、どんどんブラッシュアップして利益のために本気でセールスを仕掛けてくる。その中には上述したように、「選択の自由」、「行動の自由」、「特別感」、その他にも脳の報酬系や勤勉さとリンクさせた「やり込み要素」などをこれからも追求してくるだろう。

ゲームを作る会社は、我々消費者の懐というか、脳に入り込んでくる。脳科学や人間学、社会学、宗教学、倫理学、哲学などあらゆる面から老若男女「消費者」という名の人類を捉え、研究して製品をリリースしてくる。決してあなどれない。ゲームを生かすも殺すも、実生活で得するも損するも自分次第ではある。そんな中で我々は少なくとも、ゲームをクリエイトする側と同じくらいとまではいかないが、知識とリスクを勉強せねばならない。

追伸

ポケモンバイオレットは、上述のように自由度が高い。そのため、いかにしてポケモンを傷つけずに先に進むか、野生のポケモンが家族と離れ離れにならないよう、ゲットしたらすぐに逃がすという「キャッチ&リリース」方式、手持ちも最初の御三家一匹のみ、ボックスゼロなど、自らに重い縛りを設けて遊んでみるのもいいかもしれない(笑)