愛着障害と生きづらさについて。

社会生活全般に渡ってなぜかうまくいかない、全部ではないがある特定の事がどうしても苦手である、などという特徴がある場合は「HSP」や「発達障害」、「境界知能」などが関わっている場合があるという話を、近年よく耳にするようになった。

そしてそれらの他に「愛着障害」なるものが日常生活を送る上で大きな弊害になる場合がある事を最近知るに至った。

今回は、「岡田尊司さん著書 愛着障害 子供時を引きずる人々」を読んでためになったことを抜粋するとともに感想を述べる。

結論から言うと、人生をそれなりに楽しく生きるには、安心、安全、安定の「愛着基地」を多く持つ事が大切であるという事だと僕は思った。

解りやすくいうと「愛着基地」とは家族で住む家のことだ。清潔で、雨風が凌げて、暖かい布団で寝れて、お腹一杯栄養のあるご飯を三度食べれる。母親は身の回りの事を、父親は仕事をしてくれていて、物理的にも経済的にも家が傾く事はない。

そして、精神面での安心、安全、安定もまた大切となる。両親共に仲が良く、子供を危険や悪から遠ざけ、誠実で愛情があり、言動や思考に偏りがなく、子供に自尊心を持たせてくれる、など。

これらが全て揃う事はなかなかありえないだろうし、贅沢すぎると思う方もいるかもしれないが、子供のために親である以上、物質と精神面における安心、安全、安定の愛着基地をできうる限り設けるというのは、親としての義務といっても過言ではない。

揺るがない愛着基地があるからこそ子供の精神は安定し、冒険に出る事が出来る。例え冒険の途中で傷つく事があったとしても愛着基地に帰ってきさえすれば、自尊心や心の傷はリカバリーできて、また冒険に出る事ができるのだ。

しかし、「鉄は熱いうちに打て」という言葉があるように、良かれと思って子供を厳しくしつけるというのは、やり方によって子供に悪影響を及ぼしてしまう。さらには、子供の前での過度な飲酒、喫煙、不倫、夫婦喧嘩、虐待など、不適切な言動をしていると家庭内が不安定な愛着基地となってしまう。しょうがない場合もあるが、離婚や病気などによる親との別れ、持病の為に親がいつも体調が悪いというのも不安定な愛着基地になりうる要因となる。

そして、愛着基地の原点はなんといっても母親である。幼少期における母親との愛着が将来に渡る心の安定に大きく関係してくるのだ。

母親との愛着がうまく形成されなかった場合の傷と、脱愛着について著書の28~30ページの内容を少し抜粋して以下に記す。

脱愛着(28~30項より抜粋)

もとより、子供が助けを求めた時に母親(養育者)はただちに必要なものを与え、慰め、安心と抱擁で包む事で、子供は母との間に揺るぎない愛着を育む事ができる。それにより子供は基本的な安心感や信頼感と呼ばれる感覚を育んでいく。この世界は安心できる場所で、人は自分の助けになってくれるものだと信じる事ができる感覚のことである。これは、物心がつくはるか以前の体験により脳の奥深くに組み込まれる。ところが、これらの事が乳幼児期に不幸にして育みそこなってしまうと、後から修正するという事は非常に難しくなる。

愛着を脅かすもっとも深刻な状況は、愛着対象者との離別である。乳幼児期に母親がいなくなるというのは幼い子どもにとっては世界の崩壊に等しいくらいの過酷な体験である。

そうした体験に遭遇した子供はまず泣き叫ぶ。母親を探し出そうとし、自分の求めに応じない事に対して悲しみと怒りを爆発させる。現実を受け入れる事ができずそれに抗議しようとするのだ。この状態の事を「抵抗」という。

そして数日を過ごし、母親が戻ってこない事が解るにつれ表立って泣き叫ぶ事はなくなる。今度は暗い表情で部屋の隅にうずくまり、意気消沈して無気力な状態を示し始める。好きだったおもちゃに触れようともせず、他の誰にも関心を示さない。食欲は落ち、睡眠が妨げられたり、成長が止まってしまう事もある。このような抑うつ的な段階は「絶望」という。

さらに数ヶ月がすぎてその時期を乗り越えると、母親の記憶は封印され、何事もなかったかのように落ち着いて生活をするようになる。それすなわち「脱愛着」の状態に達したのである。周囲はほっとするがそのために子供が払った犠牲は果てしなく大きい。生存のために母親への愛着を切り捨てるというぎりぎりの選択をしたのだ。

たとえその後に母親が戻ってきたとしてもいったん脱愛着が起きてしまうとすぐには元の愛着状態には戻らない。時間をかけて少しずつ修復をしたとしても完全に元通りとはならない。

愛着タイプ(38~39項より抜粋)

アメリカの発達心理学者であるエインス・ワースは愛着のタイプを3つに分類した。さらにメインとソロモンによりもう一つのタイプが加わり全部で4つとなる。

1 安定型 

2 回避型

3 抵抗、両価型

4 混乱型

安定型が一番望ましい。※2~4は不安定型と呼ばれる。

1 安定型は、母親から離されると泣いたり不安になったりするが過度ではなく、その後再会した時に素直に喜び母親に抱かれようとする。子供の6割が安定型で、母親が安全基地としてうまく働いている証拠であり、ストレスを感じた時に適度な愛着行動を起こしていると考えられる。

2 回避型は、母親から引き離されてもほとんど無反応で、母親と再会しても目を合わせず自分から抱かれようともしない。回避型は安全基地を持たないため、ストレスを感じても愛着行動を起こさないタイプだ。小さいころから児童養護施設などで育った子供に典型的に見られるが、親の関心や世話が不足して放任になっている場合でも見られる。回避型の子供はその後、反抗や攻撃性の問題がみられやすい。

3 抵抗・両価型では、母親から離されると激しく泣いて強い不安を示すのに、母親が再び現れて抱こうとしても拒んだり嫌がったりする。しかし、いったんくっつくとなかなか離れようとしない。母親の安全基地としての機能が不十分なために愛着行動が過剰に引き起こされていると考えられる。このタイプは親がかまってくれる時と、無関心な時との差が大きい場合や、神経質で厳しく過干渉、思い通りにならないと突き放すような親の場合が多い。抵抗・両価型の子供はその後、不安障害になるリスクが高く、いじめにも遭いやすいとされる。「両価」とは求める気持ちと、拒絶する気持ちの併存である。甘えたいけど、いつ手のひらを返されるかわからない、状況がかわれば見捨てられるという気持ちをもっている。

4 混乱型は、回避型と抵抗型が入り混じった、一貫性のない無秩序な行動パターンを示す。まったく無反応かと思いきや、激しく泣いたり怒りを表す事もある。また、肩を丸めるなど親からの攻撃を恐れているような反応を見せたり、逆に突然親を叩たりすることもある。混乱型は、虐待を受けている子や精神状態がひどく不安定な親の子共にみられやすい。安全基地が逆に危険な場所となる事で、混乱をきたしていると考えられる。親の行動が予測不能なために子供の行動が無秩序になる。混乱型の子供はその後、境界性パーソナリティー障害になるリスクが高い。

統制型のコントロールパターン(39~41項より抜粋)

あともうひとつ、「統制型」の愛着パターンなるものもある。これは、不安定な愛着状態に置かれた子供が自分で周囲をコントロールしようとする愛着パターンというかテクニックだ。攻撃や罰を与える事で周囲を動かそうとするパターンと、良い子に振る舞って、保護者のように親を慰めたり手伝ったりすることで親をコントロールしようとするパターンがある。これは子供なりに親の反応や顔色を見ながら、無秩序な状態に秩序をもたらそうとしているといえる。

年齢を重ねるごとに統制型はさらに分化を遂げて、のちの人格形成にも影響を与える。

統制型の戦略的コントロールには3つのパターンがある。

1 支配的コントロール

暴力や心理的優越により相手を思い通りに動かそうとする。

2 従属的コントロール

相手の意に恭順することで愛顧を得ようとする。相手の気に入るように、支えとなるように懐に入りこみ、相手の愛情や気分を意のままに操ろうとする。

3 操作的コントロールは支配的と従属的コントロールがより巧妙に組み合わさったものだ。(僕が思うに、闇金ウシジマくんの洗脳君がこれだ)

反応性愛着障害(46項より抜粋)

虐待やネグレクト、養育者の頻繁な交替により特定の人への愛着が損なわれた状態を反応性愛着障害と呼び、不安定型愛着障害を示す状態の中でも、もっとも重篤なものと考えられる。

反応性愛着障害は二つに分けられる。

1 抑制性愛着障害  誰にも愛着しない、警戒心の強いタイプ。

ごく幼いころに養育放棄や虐待を受けたケースに認められやすい。愛着回避が重度なものでは自閉症スペクトラムとの見分けがつきにくい場合もある。

2 脱抑制性愛着障害 誰に対しても見境なく愛着行動が見られるタイプ。

不安定な養育者からの気まぐれな虐待や、養育者の交替により愛着不安が強まったケースに見られやすい。多動や衝動性が目立ち、注意欠陥多動性障害(ADHD)と診断されることもある。

愛着障害に由来する人の傾向

ここからは愛着障害に由来する人の傾向を書いていく。

・シニカルで偽善を嫌う性格というものは親に対して失望を味わったり、尊厳を育めないでいることに由来する。愛着障害の人は誰に対しても心から信頼も尊敬もできず、斜に構えた態度をとる一方で、相手の顔色に敏感だという矛盾した傾向を往々にして抱えている。これは、尊敬できない相手であってもそれにすがらねば生きていけないという過去があったからである。

・育ての親の愛着スタイルが子供の愛着スタイルにも伝播する。

・愛着不安が強い人は、相手の欠点や失敗に対して容赦なく責め立てる傾向がある。

・D4ドーパミン受容体遺伝子の変異により、40%の確率で子供が混乱型を示す。

・誰にでもすぐ愛着するというのは逆にいうと誰にも愛着しないということだ。誰にでも同じように愛着し、その後持続しないというのは恋愛においてトラブルや争いを招きやすい。

・回避型愛着の人は親密な距離まで相手に近づくことを避けようとするため対人関係が深まりにくい。

・不安型愛着の人は距離をとるべき関係の人においてもすぐにプライベートな距離にまで縮まってしまい、親しくなる=恋愛関係、肉体関係と思い込みやすい。

・上記二つが合わさっている場合、最初はひどくよそよそしかったり打ち解けなかったりするが、個人的な事を少し話しただけで急速に接近し、恋愛感情に走ってしまいがちになる。

・些細なストレスに対してネガティブな反応を起こしやすい。ストレスを自分への攻撃ととらえてすぐさま反撃行動に打って出るという外に向くパターンと、鬱や不安などの内面に向かうパターンがある。

・安定型の人の「怒り」は建設的なもので、相手を批判するものでない。問題解決のために焦点を絞ったものや、人ではなく問題そのものに対する怒りだったりする事が多い。こうした怒りは人間関係を壊すよりむしろ強化したり、問題解決に役立つ。

・不安定型の人の「怒り」は相手を精神的に痛めつける事に向けられがちになる。これは相手との関係に破壊的な作用をもたらす。破壊的な効果しかない怒りを「非機能的怒り」という

・全か無かで物事や人物を捉えやすい傾向にある。嫌いな人にもいい点があることを認められない。

・全体よりも部分で捉われやすい。全体的な関係や視点ではなく、部分に分裂した関係や視点に陥りやすい。今までよくしてくれていた人に、一度でも嫌な思いをするとすべてが帳消しとなり全否定していしまう。これを「部分対象関係」という。愛着障害を抱える人は共感性に乏しい傾向がある。例えば、母親が子供を泣きながら叱るという場面で、叱ると泣くがリンクされない。子を大切に思うからこそ、無事でよかったという安堵の涙と二度としてはならないという戒めの心、母親を悲しませてしまったことで自分も悲しいとはなりにくいのだ。この部分対象関係はいわゆるフェティシズムにも通じる。本来、人を見る時は、外見、心、言動などを総合的に見てその人と認識して判断する。恋や愛などの場合も、いい所も悪い所も中身も外見も全て渾然一体となったものを受け入れる。しかし、愛着障害の人はそのような全体性がしばしば崩壊し、愛着の対象は相手のごく一部のみということも起こりうるのだ。

・子供が苦手で関心が少なく、子育てが困難という傾向にある。時として子供が泣くと怒鳴ったり手を上げたりする場合もある。人の親になるという事に、その関係が一生続く事に不安を覚える。

・アイデンティティの問題が起きやすく、自分が自分であることに確信を持ちにくくなる。世界や他者に対して、集団内でのアイデンティティ、性のアイデンティティなどの確立に問題が起きやすい。

・不安定型の人はしばしば三枚目やおっちょこちょい、道化役を演じる事で周囲から「面白い人」「たのしい人」として受け入れられようとする。その根底には自己卑下、自己否定感がある。自分を粗末に扱う事で相手に気を許してもらおうとするのは幼少期、そうせねば生きてこられなかったという境遇が反映されている。

・子供時代に、万引き、物を壊す、いじめなどの問題行動を起こしやすい。その多くは、心に溜った寂しさや怒りを表す行動の場合が多い。あるいは、今まで「いい子」でいたけれども次第に心のバランスがうまく保てなくなりそれが何らかの悪い行いとして表面化している事が考えられる。

・家出や放浪、引っ越し、旅を繰り返す傾向の人もいる。これは幼いころ、「生きるためだけ」に養育者の元に自分がいただけで、ある程度成長して力をつけたらそこに自分の居場所はない、養育者は必要ないと感じてしまう。その後、漠然とした救いを求めて自分を縛る現実から脱出しようとする。自分を受け止め、癒してくれる存在を求めよとうするのだ。

・誇大自己と大きな願望を持ちやすい。自分が神のように感じるとか、万能感や自己顕示性など、これらは幼少期にみられる自己愛の一形態であり当たり前の成長の過程だ。自己愛と適度な挫折の繰り返しとそのバランスが大切なのだが、ある時に急激な挫折を味わうと誇大自己のフェーズに留まり続けてしまう事がある。実は、釈迦、ジャン=ジャック・ルソー、ムハンマド、チャーリー・チャップリン、太宰治、夏目漱石、川端康成、三島由紀夫、バラク・オバマ、ビル・クリントンなどは皆愛着障害を抱えているし、その傾向が見られるという。誇大自己があるがゆえに、大きな願望があり、それを成し遂げるための揺るぎない自信がある。いうなれば愛着障害が良い方向に影響しているのかもしれない…。

・愛着障害の人は、徹底した自己へのこだわりを持つ場合と、自己を超越しようとする場合がある。あるいは、自己に徹底してこだわった結果、己を超越した境地に至るのかもしれない。いずれにしても、愛着障害を克服することで、人にはない独創性や革新性を持つ人物になれる可能性は大いにあるという事だ。上記したように、偉大な作家、文学者、政治家、指導者、思想家、役者などとも愛着障害は関係している。

・「ストレスがたまった時に人を求めるかどうか」不安型は愛着行動が過剰に増加する。回避型は愛着行動の増加はなくむしろ減る。安定型は程よく増加する。

・「辛い体験をよく思い出すかどうか」不安型はすぐに思い出せるが、ポジティブな思い出の回想に時間がかかった。。回避型はネガティブな回想に時間がかかる。安定型はその中心。

・「愛する人のために自分を犠牲にできるか」安定型の人はパートナーの命を救うためなら自分が犠牲になってもよいと答える傾向が見られた。不安定型の人は、自分の価値観や信念のためなら死んでもいいと答えた人が大いにも関わらず、パートナーの為に自分が犠牲になるのはためらったり嫌がる気持ちが強くなったという。安定型の人は危機に相対した時に、人との関りや絆の中でそれを乗り越えようとするのに対して不安定型の人はある特定の価値観や信念にしがみつく事で貧弱な自己イメージを払拭して人生の意味を見出そうとする。

・「仕事のスタイル」安定型の人は仕事に熱心であり、仕事上の問題も少なく積極的で、概して社会的地位が高い、仕事の満足度も高く、仕事に対人関係問題を持ちこまない傾向などがみられる。

不安型の人は仕事においても愛着と関連した行動が多く、その事に大きな関心が割かれる。仕事上の成功や失敗はそれによって自分が受け入れられるかどうかの対人関係の問題にすり替わりやすい。さらに、不安型の人は仕事をうまくやりこなせているかに自信が持てず、性別や学歴の影響が出ないようにマッチングなる操作を自身で行い、あえて低いところに身をおく。それらによって平均よりも収入が低い傾向にある。

回避型の人は仕事上の問題よりも同僚との軋轢が多く、孤立を招きやすい。これは、同僚に対して関心が薄かったり、協調性に欠けるためだと考えられる。

不安定型の人は総じて仕事の満足感が少なく、仕事のストレスを抱えやすく、燃つきも多い。安定型の人は親や家族との関係が良好で恵まれた支援を受けやすい。しかし不安定型の人は家族との関係が不安定で、支えられるどころか足を引っ張られる事が多く、仕事にも影響を与えると考えられる。

・不安型はとにかく対人関係に重きを置き、人から承認や安心を得る事に専念する。回避型は逆に対人関係よりも仕事や勉強、趣味に重きを置く。これは、対人関係のわずらわしさを避けるためだ。

・「愛着スタイルと攻撃性」回避型の人は、敵意や攻撃的行動が多く、親に対しても敵意のある怒りを見せることがある。不安型(両価型)は母親に対する強い依存と共に抵抗や攻撃が見られる。欲求不満からくる怒りを母親にぶつける。しかし対人不安と緊張も強いため、いじめのターゲットにもなりやすい。いわゆるうち弁慶。このような傾向は大人になってもみられる。怒りがパートナーや親、子共にぶつけれることで家庭内暴力を生みやすくなる。

・不安型の女性はパートナーに不満やストレスを強くぶつける傾向にある。産後鬱にもなりやすい。不安型の人はパートナーが自分になにもしてくれないという思いや不満を強く感じてしまうため。それは子供の頃に、愛着対象者から条件付きの愛情しか与えられなかったことで、愛情への飢餓感が強いためだ。

他にもいくつか特徴的な傾向があるが、それはここで羅列したするよりも著書を読んだ方が解りやすいだろうし早いだろうから是非買って読んでいただきたい。

さて、では愛着障害を持っている方はどうすればいいのか。著書によると、徹底的に過去を語り尽すというのが良い方法の1つと書いてあった。症状を抑える薬はあくまで対処療法であり、なぜその症状が起きているのかという原因に対するアプローチをせねばならない。過去に抱えた強い不安、怒り、悲しみ、矛盾、理解できない大人の言動などが今でも心の奥底に燻り続けていてそのせいで現在の言動に影響が出ているならば、これらを気のすむまでひたすら回想する。カラオケボックスなどで場合によっては泣いてもいいし、大きな声で叫んでもいいだろう。その時の事を思い出して、その時に感じた思いを、押し殺した本当の思いを吐き出す、発散させるというのが良いのだろう。

あとは、そのような身の上話を聞いてくれるカウンセラーや仕事仲間、友達、同じような思いをした人々が集うコミュニティなどで話をして共感を得るのも一つ。これこそが「愛着基地」であり、ここで共感してもらう事で「共感力」と「自尊心」を高めるのだ。この「愛着基地」は多ければ多い方が良い。そしてコミュニティの幅は、浅く広くも深く狭くも自分の意志でコントロールできることは忘れないで欲しい。「共感力」「自尊心」「人生の主導権は自分が持ている」これらを強く持てるようになればきっと今よりも人生が楽しく、そして生きやすくなるはずだ。