現実と自己認識の残酷なギャップ。

「現実」と「自己認識のギャップ」について書く。

「疲れていてもやると決めたことはやる。なぜなら昔からそうしてきたから」というような信条は素晴らしい。「初志貫徹」「年齢を気にせず、いつまでも若々しく」高齢になればなるほど、このような心意気はとても大切だ。が、「今の自分に出来る範囲で」という前提を決して忘れてはいけない。昔と同じように動いた際に、思ったよりも体力が落ち込んでいてそれにより大きく消耗、もしくは怪我をすることもあるから気をつけないといけない。

例を出すならば、目の前に段差がありそれをとっさに乗り越えようとする。自分の中では瞬時に足を30センチ上げたはずが、現実には25センチしか上がっていなくてつまずく。学生時代短距離の選手だったからと、現役から何十年経っても未だに100メートル約15秒で移動できるとありえない概算をする。全速力での階段昇降、学生時代は当たり前だったがこれを今現在何の準備もせず行うとしよう。その結果は場合によって良くて肉離れ、悪くて骨折全治12週間もあり得る。寒冷地での車のタイヤ交換。昔はタイヤを片手で持ってもなんともなかったが今は持った瞬間、意外に重くてバランスを崩して前のめりになってまさかの腰を傷める。…など。

頭の中には確固たる運動イメージがあるがいざやってみると筋力、筋膜、関節が硬くて動きが悪く、神経伝導速度も遅く、それらを統合する小脳と運動連合野の補正もうまくいかない。それは脳内における空間と時間の認知と現実の運動機能のずれも然りだ。いい例が長縄跳び。飛んだ際に生じる数秒のズレ、脳内の体の位置と現実の体の位置のズレがあり、うまくタイミングを合わせられない。イメージ通りの結果にならないのだ。確かに、筋肉神経脳のワーキングメモリーがあるのでとっさに上手く反応出来る場合もあるが、運動器系は衰えているのでほどほどでやめないと怪我をする。これらの怪我やズレる現象は、過去のベストな状態の経験にとらわれ、「老い、衰え」を正しく計算に加えていないからこそ起きる。いわば、脳内イメージと現実の間でギャップが生じているのだ。ここの開きが大きければ大きい程、色んな意味で大事故になる。

筋力、持久力、バイタル、判断力、瞬発力、思考力など毎日自分の体のスペックを可視化して認識できていれば上記の「開き」は限りなく少ないものになるだろう。しかし、そうそうできることではない。なのでとりあえずいつもと変わった運動をする際は少し慎重になる、いい意味での「謙虚さ」を持った方がよい。※これは自分に対しての言葉でもある。上記の様々な事例のほとんどは僕のことである(笑)

あとは、なるべく毎日全部の筋肉関節を動かす。ラジオ体操などが良いだろう。起床時と就寝時に仰向けなって出来る限り、思いつく限り、伸ばせる限りのストレッチをするのも良い。神経の伝達速度は温めると上がる。なにか変わった行動をする際は前もって体を温めておくとよい。瞬発力、神経の反応速度を高めるということなら、家族とトランプをするといいだろう。「スピード」、「豚の尻尾」などがおすすめだ。身体を動かして反射も上げて脳も使うとなると、テレビをネットにつなげて大きな画面でダンスの動画を見てそれをマネして動くのもよいではないか。例え同じ様に体を動かせなくてもいいからマネしてみるのだ。脳にはミラーリングという機能がある。これは無意識のうちに目の前の人のしぐさを真似てしまうという現象だ。わずかながら運動の一助となるだろう。

行くとし生ける全ての生物は日々、「死」に向かって全力疾走している。刻一刻と身体が衰えていく中で、出来るかぎり身体と脳をフルに使って生きたいものだ。ただし「無理をしない」ことを忘れず…。