ベートーヴェン作曲「エリーゼのために」について思うことと、「悲観的な先入観」。

この曲は小学生の時、ピアノを習い始めて2回目の発表会で弾いた。当時の僕の実力ではまだ早かったのだが、「誰しもが知っているそれなりの難易度の曲をどうしても弾きたい」と、背伸びをしてなんとかモノにした曲だ。僕のわがままに付き合ってくれて、「無理」と言わずに仕上げてくれたピアノ教室の清川先生には今でも感謝している。

「エリーゼのために」はピアノ初級から中級くらいの子供が弾くにはちょうど良いベートーヴェンの曲であろうし、どの音楽サイトにもそんなような事が記されている。…しかし、本当に子供が弾くような曲なのだろうか?

人様が作った音楽を他人が奏でる際に大切な事は、作曲者がどんな気持ちでその曲を作ったかをなるべく正確に汲み取って演奏に反映させることだ。こと、クラシックに関しては当時の歴史的背景、文明の発展度合い、作曲者の健康状態や情緒、交友関係、当時の空気感などをなるべく忠実に学んで思い描く必要があろう。

皆に評価されるプロの演奏家の方々は無論そこまでのレベルで学んでいるだろうが、アマチュアの場合はとりあえず、弾けさえすればそれでいいとする方が多いのではないだろうか。

だが、やはりある程度はその曲が生まれた背景を知る事は大切な事だし、それによって演奏が味わい深くもなるし、より感情移入出来るというものだ。

では、この「エリーゼのために」という曲が生まれた背景とは?と考えた時にこれは小学生の手に余る内容となるのでは…と僕は思う。

「エリーゼのために」のうんちくはネットに沢山でているのでここでは割愛するが、要するに当時40歳のベートーヴェンが19歳のエリーゼ(テレーゼ)という女性に捧げた曲であり、もしかすると「ラブソング?」なのだ。※諸説あり。

一般的に、好きな異性に曲を捧げるとなると、その人を思い描いたような綺麗な曲や楽しい曲など、とにかくその人に気に入ってもらえる、心地よく明るい雰囲気の曲を作らないだろうか…。

しかし、「エリーゼのために」は、陰鬱な出だしから始まり、中盤明るい展開があるも、そこから暗闇に落とされ、つなぎ部分はまた陰鬱になり、クライマックスでは嵐のような大荒れの展開となり、また陰鬱な出だしに戻り、静かに終わる。今、「陰鬱」という語句を3回使った。

なぜ、好きな女性に陰鬱な雰囲気の曲を捧げたのか?大人でも解釈するのに難儀する中、人生経験が少ない子供ならばなおさら理解が難しいのではないか、とうのが僕の意見だ。

正直、自分がもしも二十歳くらいの女性だとして、40歳のおっさんに「君の事を本気で思って作りました」とかいわれて「エリーゼのために」を贈られて聴いた際には恐らく「は?」となる。そしてなにより「重っ!」って思う。

まあ、上述のように現代と当時では文化が違うため、受け取る感覚も異なる。当時はこのような曲の方が「愛」や「本気度」、なにより「趣」があると女子から評価されたのかもしれない。もし本当に「エリーゼのために」がラブソングだとするならば確かに、現代の反吐がでるような恋愛曲に比べれば「エリーゼのために」は落ち着いて聴けるし高いインテリジェンスを感じる。

しかし、なぜここまで「陰鬱」なのか…。「陰鬱」の他に、「喜び」、「暗闇」、「悲しみ」や「怒り」、「胸騒ぎ感」なども感じとる事ができる。そんなこんなで、とてもとても愛を捧げる穏やかな曲ではないと思うのだが…。

「エリーゼのために」という曲が生まれた背景はあまり詳しくはネットにも出てこない。

「エリーゼのために」という曲名と、曲の印象+自分の偏見も若干入れて、個人的にいくつか「エリーゼのために」が生まれた背景の仮説を立ててみた。

①ベートーヴェンが愛したエリーゼは病気か事故で悲運の死を遂げ、いつまでもその悲しみ引きずっている。エリーゼを失った現在から、過去の楽しかった日々~死の瞬間までの回想と現在、を表した曲。なのでこの場合はエリーゼの死後に、すなわち「今は亡きエリーゼ」に捧げた曲となる。

②ベートーヴェンは愛するエリーゼともっと一緒にいたかったが、ベートーヴェン自身が病に侵され、無理やり別れを告げて孤独になり、死を待ちながら過去をいつも思い出している。自身の病の苦しみと過去の思いでと愛、人生の「無常」を表現した曲。

③ベートーヴェンは恋しのエリーゼと結婚する予定だったが、金持ちのもっといい男とエリーゼは結婚することに…。家柄や貴族のルールの弊害と身分差で、しょうがなくそれを飲み込むしかなくなり、無力感とやるせなさと、行き場のない「辛い思い」を載せた曲。

④ベートーヴェンが恋したエリーゼの性格は基本的に陰鬱で(もしかしたら躁鬱病)それでもたまに見せてくれる明るい元気な笑顔がせめてもの救いで。時には大いに仲たがいをして荒れる事もあるが、やがていつも通りに戻る。それらをひっくるめてありのままのエリーゼを受け入れるという、愛と覚悟を表した曲。

➄ベートーヴェンが恋したエリーゼに気に入ってもらいたくて、当時の流行や趣をふまえつつも、その他の俗物とは一線を画す、ベートーヴェン独自の個性と感性、情緒を織り交ぜて作った作品。

⑥エリーゼはベートーヴェンの恋人でもないし、別に好きでもない。ただ単にエリーゼという「お客さん」に頼まれて、尚且つエリーゼのオーダーをふまえて作った作品。

⑦エリーゼはベートーヴェンの恋人でもなく別に好きでもない。同じ音楽仲間か音楽を嗜むエリーゼに対して、「こんなの作ってみたけどどう?」みたいな感じであくまでフランクに、学術的観点から作られた作品。

これらの仮説が僕個人的には立つ。

①、②ならばかなり重くなる。その気になれば思いっきり重く、ドラマチックに弾ける。…でも楽譜の指示を見るに、重くしたいところでペダルを離す指示があったり、フォルテでなかったりと、そこまで重い感じではなさそうなのだ。まあもっとも、本当に辛い時やショックを受けた時は案外ドライな気持ちになるからそれを表している可能性もある。

③は、実はこれベートーヴェンの月光ソナタ第三楽章がそうだと言われる説がある。(※月光第三楽章の場合の相手はエリーゼではない)確かに、実力ではなく家柄重視のくだらない階級社会の弊害に対する怒りと、ほいほい違う男と付き合う相手女性に対する怒りを表すならば「エリーゼのために」の旋律では弱い。

④だとすると素敵だ。しかし、ここまでの思いがあるならば結婚して史実としてエリーゼの名は刻まれるだろうが、エリーゼがベートーヴェンの奥さんであるというような事実はどこにも書かれていない。

とすると…➄、⑥、⑦あたりが実は濃厚なのかもしれない…。

曲の雰囲気が暗く陰鬱なので、個人的にはどうしても「エリーゼのために」が作られた背景に、悲劇のストーリーを思い描いてしまうが、ただ単にエリーゼさんへマイナーコードで学術的に曲を作っただけの可能性もある。

人は物事を考える際に、悲観的に捉えてそれにストーリー性を持たそうとする性質がある。例えば、世界中の一歳児で何らかの予防接種を受けている子共はどれくらいいるかという問いに対して、きっと予想よりも大分少ないのだろうな…とか思ってしまうが、正解は80%以上だ。世界は自分が思ってるほど悪くなく、少しずつ良くなっている。現代ではほとんどの男女がともに教育、医療をまともに受けれている。※ハンス・ロスリング他、著「ファクトフルネス」より。

「エリーゼのために」という曲を知らない人に、①の説明を吹き込めば恐らく信じて疑わないだろう。

真にその曲を理解して、ニュートラルに演奏するには邪推や偏見はよくない。かといって、ただ単にぼーっと他人事のように緩急なく弾くのもつまらない。

大事なのは、何度も何度も考えて試行錯誤をすること。すなわちその作品に大いに時間をかけて、理解しようとすることだと思う。①「ただ単に楽譜の指示だけを守ってなにも考えずに弾く」よりも、②「その曲が生まれた背景を想像しながら弾く」方がより情緒的に聞こえるだろう。でも、③「さらにそこから試行錯誤してさんざん考えた」挙句、①´「もう一度最初に戻って何も考えずに楽譜の指示通りにだけ弾いてみる」と、①と①´とは変化があり、きっと①´の方がより味わい深い演奏ができると思う。

「エリーゼのために」はテクニック的には確かに初級~中級レベルで子供たちの登竜門かもしれないが、曲に秘められた複雑な情緒の考察までは子供では行き届かないだろう。しかし、作曲者の意図ではない、個人的な「邪推」や「間違った解釈」は作品を壊す。「下手な考え休むに似たり」だ。なので、楽譜の指示だけを守り、なるべくニュートラルな状態で素直に音を奏でることができる子供だからこそ、実は大人よりもいい音が出せるかもしれない。そういった意味ではもしかすると子供の演奏は本家の「エリーゼのために」に割と近いものがあるのかもしれない…。