映画「コーヒーが冷めないうちに」は面白かった。
これは、特定の条件を満たした場合のみ時間を巻き戻したり進めたりする事ができるという不思議な喫茶店を舞台とした物語だ。
そこで繰り広げられるヒューマンドラマが味わい深く、なにより俳優さん達の本気の演技が素晴らしかった。
…と、何一つ中身のない感想だが、これはネタバレ防止のためだ(笑)
「チート」とは
ゲーム用語で「チート」という言葉がある。
これは「ズルをする」という意味らしい。
要は、意図的にゲームのプログラムを改変したり裏技を使用して、通常ではありえない状態でゲームをするという事だ。
チートのやり方はゲームソフトにより様々で、基本的に一般プレイヤーが絶対に考えつかないような複雑な工程を要する。
例えば、ゲーム内の~で~を~個購入してそこにカーソルを合わせて~ボタンを~回連打して、それを~分以内に~回繰り返す…とか、
ゲーム機本体の時刻設定を手動に切り替えて、~年~月~日~時~分に設定し、そこから~秒以内にゲーム内のフィールドで特殊な作業をする…とか、
はたまたゲーム中のとある地点で本体の蓋を開け、別のディスクに入れ替えて特殊な作業をして元のディスクに戻すという離れ業を用いるものもある。
このような方法は開発者やプロからリークがない限り、一般の素人では絶対に思いつかない。
だが、誰でも複雑な工程を正確に行えば、手間をかけただけの恩恵を受ける事が出来るのは確かだ。
「デバックルーム」とは
RPG、すなわちフィールドを自由に動き回れるタイプのゲームには基本的にデバックルームが存在する。
これは開発者がゲーム内のあらゆるシチュエーションにおいてバグの有無を確かめるため、意図的に設けるシステムの事だ。
なので、デバックルームでは設定を自由に変えることが出来る。
例えばキャラのレベル、持ち物、お金、装備、状態、場所、シーンなどなんでも自由自在なのだ。
デバックルームに行きさえすれば、最高な状態でゲームを好きなところからプレイできる。
ただし、一般のプレイヤーはデバックルームにはたどり着けない。
チート同様、開発者やプログラマーなど特別な方法を知る者しか立ち入れないし、多くの人は存在すら知らないのだ。
ズルを目的として作られたわけではない
チートにしても、デバックルームにしても元々はプレイヤーにズルをさせるために開発者が用意したわけではない。
何万時間とかかるゲーム内における安全面や、機能面、バグなどを確認して見分けるテストを簡易的にするため開発者が設けた、いわば「仕事のための道具」なのだ。
それを偶然、もしくは無理やり見つけた一部のプレイヤーが利用して有利にゲームを進めているだけだ。
もっとも、裏ボスや裏メッセージ、隠しコマンドなど、プレイヤーに楽しんでもらいたくてあえて開発者が用意した隠し要素もある。
あの喫茶店は何なのか
話を映画に戻す。では、あの喫茶店はなんなのか?
「特別な条件がそろった時のみタイムスリップが出来る」とはまさにチートだ。
チートを知ったプレイヤー達(登場人物)がそれを利用して、恩恵を得る。
ただ、元々の開発者、つまり映画の世界の創造主である神は何らかの意図があってそのチートを造ったのだろう。
(神は脚本家というメタ的な考えはしないでおく。)
時を戻したり進めたりを何度も繰り返すチートなんてのはまさに、バグの検出やテストにうってつけではないか。
チートは哲学
「哲学とは、神の影を追いかける学問である」という言葉をどこかで聞いたことがある。
哲学とはいわゆる、どうして苦しみがあるのか?どうしてこの世は生まれながらに不公平なのか?
神はいるのかいないのか?みたいな抽象的な問いを立て、事実と仮説を合わせて整合性をとりながら深く思考していくものだと僕は解釈している。
それ踏まえた上で、もしもこの世のどこかでなんらかのチートを発見した時点で「神」すなわちこの世界の開発者がいる事が確定するのではないだろうか。
フィボナッチ数列はチート?
では現実世界において、何を持ってチートなのか?
美しさの黄金比であるフィボナッチ数列だってある意味チートかもしれない。
全ての植物の葉の付き方はフィボナッチの対数螺旋に基づいた角度となっている。
なぜならば、その角度が一番均等に太陽光が当たるからだ。
それ即ち、「生存」に直結する。
太陽光の規定値、それに基づく受ける側の最適な対数螺旋の規定値は「決まっている」のだ。
そう考えると、フィボナッチ数列は最適な規定値のチートコードと捉える事ができるかもしれない。
この「最適な規定値」は開発者のみがいじる事が出来るだろう。
人に依っては数学の存在自体がチートだという考えもある。
数学は答えが一つで嘘がない。ある意味で残酷だ。
19世紀の哲学者であるスピノザは、「神とは非人道的な宇宙の秩序であり、宇宙の調和を保つ法則だ。」という言葉を残している。
チートに気付く気付かない以前に、そもそも全生物は環境に適応できなければ存在すらできない設定になっている。
身体に関わるチートは存在するか?
では、身体に関わるチートはあるだろうか。
これに関しては恐らく紀元前から人類は探っていたと思う。
呪術や祈祷がいい例だ。
特別な物質を集め、特殊な条件下で~をいけにえにして、呪文をかけて…なんてのはチート行為を試みている様にしか見えない。
場合によっては東洋医学もチートを探る行為に含まれるかもしれない。
特定の症状や疾患に著効を示す「奇穴」なんてのはまさにそれだ。
ただし、これらの問題は「本当にチートなのか」という事。
つまり、受ける側に効果がある場合もあればそうでない場合もあるという不確かなものではだめなのだ。
100%の再現性と効果が無ければチートではない。
チートはある意味で数学であり、秩序だ。
もし本当にチートならば、それを正確に運用できているかどうかがカギを握る。
なので、霊感、ゴットハンド、気功、占いなど一見この世のチートに気付いた特殊能力のように見えるものは全てが胡散臭く写る。
なぜなら再現性が低く、100発100中ではないからだ。
チート商法
霊感や宗教、整体にかこつけた胡散臭い商法は星の数ほどある。
そのどれもが、「私にしかできない特別な才能であり能力である」というふれこみ。
あたかもこの世の真理、秩序に気付きなんならこの世界の開発者とコンタクトが取れるかのような妄言を吐く者もいる。
これらはいわば「私はチートをみつけてしまったのです」といっているようなもので、それを商売としているものは全て「チート商法」と名付ける事ができる(笑)
もしも本当にチートならば「個人差がある」とか、「今日は体調が悪い」とかは一切関係ない。
条件を整え、正確に手順を踏みさえすれば誰でも同じ効果が出るはずだ。
受験と消しゴムの願掛け
昔、こんなジンクスがあった。
志望校の名前を消しゴムに黒いペンで書き、その消しゴムを全て使い切る。
さすれば、見事試験をクリアして志望校に入学できる、というもの。
さて、試験まで残り数ヶ月とした場合、どうするか。
一生懸命、消しゴムをこすり続けるか?
それともひたすら勉強するか?
当然答えは後者だ。
もしも前者がチートであれば確かにそれを行使すれば受かるだろう(笑)
専門科目を一秒たりと勉強せずとも世界中、どこの学校でも無条件で受かる(笑)
ただし、それを信じてしくじれば…目も当てられない。
このジンクスの真髄は、知識が盤石なものとなるまで何度もトライアンドエラーを繰り返しなさいという事だ。それだけ時間をかけて勉強しろという事。
それを理解せずチートに走ってはいけない。
楽して無敵にはなれない。
チート商法もこれと同じだ。
最後に
人生の困難な局面において、神にすがり願をかけたくなる気持ちは分かる。
だが、そうそうチートなんてものは存在しない。
もしあったとしても一般人では思いもつかない方法であり、仮に途方もない時間をかけて探しても生涯見つける事は出来ないだろう。
心を強く持ち、今ある手段、条件下で戦略を立てて生き残りを図るしかないのだ。
…全く夢のない話になってしまったが、映画「コーヒーが冷めないうちに」はとりあえず面白かった。
Amazonプライムで見れるのでお勧めする。
